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rexus別館

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温もりの距離 vol.6

温もりの距離 vol.6


「――ようこそ、愚かなる人間よ」
 全ての光が失われた瞬間、混沌とした闇が微かに震えた。
 俺は胸の中に沸き起こる恐怖を禁じえなかった。まるで泥濘の上に立っているかのように足が言う事をきかず、身体中の筋肉が小刻みに痙攣している。それを押さえつけようと右手で左肩を握り締める。しかし震えがおさまったりはしなかった。
「イールズ……オーヴァ」
 唾をごくりと飲み込むと、忌むべきその者の名を口にした。
 直後、一筋の光が目の前の闇を切り裂く。そして満足げな笑みを浮かべた奴は、記憶の中にあるそのままの姿で俺の前に姿を現した。
「覚えていて下さったとは光栄です、シオン王子。いや、失礼しました。貴方はもはや王子などではない。それとも……初めから王子などではなかったのですか?」
「……イリアをどこにやった」
「誤算ですよ。アドビスに生まれたウィザード……この誤算が全てを狂わせた」
「イリアはどこだ!!!!」
「イリア? ああ……愚かにも私を殺そうとした少女ですか。彼女ならここに」
 イールズ・オーヴァが指を弾いた直後に、眩い光を伴いながら彼の背後に巨大な十字架が現れる。そしてその中央には蔦のような物で身体を縛り付けられたイリアの姿があった。気を失っているのか、彼女はピクリとも動きはしない。
「イリアッ!!!」
「待ちなさい。一歩でも動けば彼女を殺しますよ」
 足を踏み出そうとする俺を威圧的なイールズ・オーヴァの声が制する。マスク越しに見える冷たい金色の瞳はそれが偽りでない事を確信させた。
「それでいい、賢い人は好きですよ」
「クッ……もしイリアに傷一つでもつけたら――」
「私を殺すとでも? 冗談でしょう。自らの命と引き換えにした"あの"魔法ですら私を殺すには至らなかった。また同じ余興を見せるおつもりですか?」
「…………」
「フフ、安心なさい。貴方が私の言う事をきく限り、この少女には何の危害をも加えたりはしません。凡庸な人間に興味などありませんから」
 そう言うとイールズ・オーヴァは身体を翻し、イリアが縛り付けられている十字架に向かって歩き出した。
「この十字架、見覚えがあるでしょう? アドビス大聖堂のものです。貴方を必要としないあの国が神を崇めて作ったものだ」
「ふんっ……いちいち棘のある野郎だぜ」
「お気に障ったのであれば謝りましょう。兎も角も、これは人間の深き業の標――自らの犯した罪から逃れる為の免罪符でしかない。だがこのような物で人間の罪が許されるとでも? 人間の創造物ごときが偉大なる神の慈悲を為し得るとでも? 貴方ほどの人間であれば解る筈だ、違いますか?」
「随分と買ってくれるじゃねーか。それに異世界で悪趣味を満喫していたお前がいつから神を信じるようになったんだ?」
「私とて所詮は神の創造物でしかない。人間の手で作られた免罪符がこの十字架であるとしたら、神の手によって作られた免罪符がこの私なのですよ」
「馬鹿な!!」
「アドビスに生まれたウィザード……貴方は神の摂理に反した存在なのです。即ち、神によって科せられた頚木から人間を解き放つ唯一の存在。選びなさい。人間の英雄となるのか、それとも一人の少女の為にここで朽ち果てるのか!!」
 その瞬間、空間が歪むような凄まじい音と共にイールズ・オーヴァを中心とした磁場が一気に崩れ去った。それによって統制を失った魔力が衝撃波となって襲いかかってくる。
「さあ、どうするのです?!」
 防御磁場を張ればこれくらいの衝撃波など難なくかわす事が出来る。しかしそうすれば俺が助かる代わりにイリアが死んでしまう。仮に自分だけ助かったとして、イリアがいない世界で生きる価値などあるのか? シオン、お前はどうするんだ?! 
「さあ!!」
「俺はイリアさえ無事ならどうなってもいい!!!!」
「ならば死ぬがいい、神に背きし者よ!!!」
 眩い光に飲み込まれてバラバラに崩れ去って行く意識の中で、俺は必死になってイリアの記憶を手繰り寄せていた。



――貴 方 は 神 の 摂 理 に 反 し た 存 在 な の で す



 少しずつ輪郭を持ち始めた意識の中で、イールズ・オーヴァの放ったその言葉が何度も繰り返されていた。
 神の摂理に反した存在……神によって科せられた頚木から人間を解き放つ唯一の存在……全てが夢だったとでもいうのか? いや、それともこれは死に向かって徐々に失われつつある意識の残像なのか? 
 そうだ、イリアは? イリアは無事なのか?! 
「イリア!!!」
 そう叫んだ瞬間、目の前の闇が一気に退いて眩いばかりの光が飛び込んできた。思わず両手で目を覆ってしまう。
「シオン、大丈夫?!」
「え……あ…………イ、イリア?!」
 反射的に手を離した俺の視界に飛び込んできたのは紛れも無くイリアだった。
「お前無事だったのか?!」
「私? 私は何ともないわよ。それより目を覚ましたらシオンが物凄くうなされてるし、見た事も無い変な場所に来てるし……一体どうなってるんだか」
「変な場所?」
 そう言いながら起きあがると、辺りをぐるりと見回してみる。成る程、イリアの言う通り俺達は昨夜暖を取った場所とは違う、全く見た事の無い所にいた。
 そこは見渡す限り大理石で埋め尽くされた荘厳な聖堂だった。床には歩幅程度の赤い絨毯が敷かれており、その先にはこじんまりとした祭壇のような物がある。
『シオン、選ばれし者よ――よくぞ試練を乗り越えてここまで来ました』
 男とも女ともつかない中世的な声。それはイエソドやネツアクで聞いた門の番人のそれと同じものだった。
 声の主を探そうと辺りを見回してみたけれど、それらしい者の姿は見当たらない。
「試練?」
 突然そのような言葉を口にした俺をイリアは訝しげに見つめている。
『己の為に他を投げ捨てるような人間に水晶を手にする資格などありません。世の理とは心一つで聖とも邪ともなり得るもの。それ故に貴方を試したのです』
「ったく……相変わらず酷ぇやり口だな」
『行きなさい。水晶が選んだのは貴方……』
 俺は肩を竦めると一つだけ大きな溜息を吐いてみせた。そして顔だけ後ろ斜めに向けて「水晶は祭壇の上にあるらしい。そこで待ってろ」と言うと歩き始めた。
 祭壇の手前まで来た時、後ろから「気をつけてね」というか細い声が聞えてきた。

『シオン……よくぞここまで辿り着きました。貴方に私の持つ知識を授けましょう』
 水晶に触れた瞬間、先程と同じようにして頭の中に声が流れ込んでくる。しかし違うのははっきりそれと解る女の声で、という所だ。
 俺は目を閉じると、声の主と同調するようにゆっくりと精神領域を開放した。
「その前に聞きたい事がある」
『……私に答えられる事ならば』
「門の番人は俺の事を"選ばれし者"と言った。それはどういう意味だ?」
『誰もが水晶の知識を手に出来るわけではありません』
「それが答えか?」
『そうです』
「ならばもう一つだけ問う。神によって科せられた頚木を解き放つとはどういう事だ?」
『…………』
「神の摂理に反した存在とは」
『貴方はイールズ・オーヴァの素顔を見た事がありますね?』
「ああ、俺達と同じ人間だ」
『しかし彼の持つ魔力は人間のキャパシティを大きく逸脱している』
「人間ではない、と?」
『魔物とは……罪深き人間に対する神の制裁。知性を持たずただ人間を駆るだけの存在』
「…………」
『イールズ・オーヴァは貴方の存在を誤算だと言った』
「ああ」
『クレリックとして生まれる筈のウィザード。知性を持たぬ筈の魔物。どちらもが誤算だった』
「――?!」
『行きなさい。貴方はあなたの道を』
「待て、俺は」
『貴方に私の知識を授けましょう』
 その瞬間、水晶が眩い光を放ったかと思うと背後から絹を裂くような悲鳴が聞えてきた。
「イリア!!」
 振りかえると反対側の扉が開いており、そこから何匹もの巨大な魔物がイリアめがけて突進していた。
「チッ……クリエ クリエ ストヴィア ヴィラル ヴェトヴェル リィオリ ヴァイス!!! 力の意志よ、我に従え!!!! !」
 呪文を唱えるのと同時に、目の前に赤く輝く五芒星の印が浮かび上がる。印の中央からは赤黒い炎が噴出し、物凄いスピードで地面を這いながら魔物へと向かっていく。それはまるで生き物のように見えた。
「きゃっ?!」
 何が起こったのか飲み込めていないらしいイリアは、俺と魔物を交互に見返しながら呆然と立ち尽くしていた。
「地面に伏せろ!!」
「グギャァァァァァ!!!!!!!!」
 俺の声と魔物の咆哮が重なり、物凄い爆音とともに魔物の身体が砕け散る。一方のイリアは腰を抜かしたのか、その場に座り込んだままガタガタと震えていた。
「おい、イリアッ、大丈夫か?!」
 そう叫びながら急いでイリアの元へと駆け寄って行く。そして呆然と座り尽くした彼女の身体を思いきり抱きしめてやった。腕の中でぶるぶると震えるその姿は酷く痛々しい。
「もう大丈夫だからな。魔物は俺が――」
 言葉を遮るようにして背後から物凄い爆発音が聞えてくる。
「何?!」
「シオン、祭壇が!!」
 反射的にイリアの指差す方向に顔を向ける。水晶の安置されていた祭壇が炎に包まれ、側壁には幾つもの大きな皹が走っていた。
「クソッ……一体どうなってやがる!!」
 悪態を吐きながらイリアの身体を抱き上げると「歩けるか?」と声をかけた。
「う……うん、大丈夫」
「じゃあいくぞ! 取りあえずここから出るんだ!!」

 扉の外に出ると、目の前には見覚えのある景色が広がっていた。見渡す限りの青い空、そして大理石の上に刻まれた結界。ただロッドの頂上に設えられた水晶は一つを除いて全てが割れている。
「さあ、ここが崩れちまう前に早く!!」
 そう言いながらイリアの手を引いて結界の上に乗る。そして残された水晶に手を翳すと魔力を開放した。
――ボウッ
「あ……」
 水晶は一度だけ蒼白い光を纏ったかと思うと、すぐに元に返ってしまう。
「もう一度!!」
 自分を鼓舞するように言いながらもう一度魔力を開放する。しかし結果は同じだった。「シオン、一体どうしたの?! 早くしないと神殿ごと崩れちゃうよ!!」
「解ってる……解ってるけど―――!!」
 その瞬間、一つの考えが頭を過った。
 もしかするとそれぞれロッドの上に乗った水晶は一人を移送するに足るだけの魔力を蓄える装置なのではないか? 初めあった水晶は五個、つまり五人まで移送できる。しかし今は一つだ。この仮説が正しければ一人しか移送できない……と言う事になる。そしてどちらにしろ移送は一回限り……イリアが魔力を持っていない限り結界を再びここまで送り返す事は不可能に近い。
「イリア、よく聞くんだ。俺の予想通りならこの水晶の数と移送可能な人数は一致して……いや、だからつまり水晶の数だけ移送できるって事だ。つまり今移送できる人数は――」
「一人?!」
「そうだ、だからお前が先に行け」
「い……嫌だよ、私一人で行くなんて! シオンも一緒に!!」
「二人じゃ動かないんだ。だから」
「だったら私は後でいいから、シオンが先に行って!」
「お前には結界を動かす力が無いだろうが!!」
「でも……シオンいっつも私の事ばかり気を使って自分が無理するじゃない!!」
「それとこれは別だ! 俺が先に行ったらお前は帰れない。でもお前が先に行けば後で俺も帰ることが出来る、そうだろ?」
「でも……」
「約束しただろ、もう二度と一人にしないって。だから絶対に帰ってくる」
「…………」
「いいな?」
「……うん」
 俺は一度だけイリアの肩をポンと叩くと、素早く結界の外へと出て行った。そして生き残った水晶の上に手を翳して再び魔力を開放した。
――ボウッ
 予想通り、今度は水晶に光が灯る。そして結界自体が薄く発光したかと思うと、イリアを乗せた大理石はゆっくりと下降を始めた。
「シオン、約束だからね!!」
 今にも泣き出しそうなイリアは、両手で胸のアミュレットを握り締めたまま、俺をじっと見つめていた。そんな彼女を見ていると後ろめたい感情がもやもやと沸き起こってくる。何故なら、イリアはこれが最後の別れになるだなんて知りもしないのだから。そう仕向けて……彼女を騙したのは他でもない俺自身なのだから。
 きっと地上に戻った彼女は俺が帰ってくる事を疑いもしないだろう。そしていつまでも俺の帰還を待っているだろう。例えそれが叶わないと解ったとして、きっといつまでも待ち続けるだろう。
 酷い奴だ、心の中でそう呟きながら胸のブローチに手をかけ、グッと力を入れた。繋ぎとめる物を無くしたマントはバタバタという音を立てながら宙を舞っていく。そしてブローチを握り締めた俺はイリアの瞳をじっと見つめた。
 その意味を悟ったのだろう。彼女の瞳が一気に不安の色に染まり、大粒の涙が零れ落ちる。俺は無理やり微笑を浮かべると、手にしたブローチを彼女に向かって放り投げた。
 彼女の視線がブローチに移って、そして再び俺の方へと戻って来た。その瞳には非難の念が色濃く写し出されている。
「嘘吐き!! 絶対に帰ってくるって……ずっと一緒に居てくれるって…………約束したじゃないか……約束したのに…………また私を一人きりにして…………シオン……解ってて……」
 そんな彼女にかける言葉を見つける事が出来なかった。俺に出来る事といえばただ微笑んでいるだけで……ただこの瞳に彼女の姿を焼きつけておく事だけで……
「帰ってこないと……絶対に許さないんだから!!」
 最後の言葉が胸にグサリと突き刺さったまま離れなかった。

epilogue ~ a promise

 ゆっくりと目を開くと、そこには雲一つ無い一面の大空が広がっていた。
 少しだけ視線を下げたその先には米粒のような町並みが見える。
 それは自分が遥か空高くに浮かぶイェールス神殿にいるという事を思い知らせるに足る物だった。

 冷たい風が身体に絡み付いてくる。ヒューヒューという笛のような音を立てながら、それは切らずにのばしていた髪の毛をあちこちに靡かせた。
 もう既に髪をかきあげる事さえも億劫になっていたらしい。両腕をだらりと垂らしたまま、俺は飲みこまれてしまいそうな大空を食い入るように見つめていた。
「イリア……どうしてるだろうな」
 ふと思い出したかのように脳裏に浮かんできたアイツの名前を呟いた。
 もう二度と逢う事が出来ないと解っているのに、少しだけほっとしているのは何故だろう? 
 きっと……誰でも無い俺自身がアイツを助けたのだという自負心の賜物だろう。
 そう、同じような感覚を前にも味わった事がある。異世界に行って、自分に課した約束を果した時――この手でイールズ・オーヴァを倒して、そしてイリアを護り通したあの瞬間。
 もう二度と逢えないという言葉に出来ない喪失感と共に、一番大切なものは守り切ったのだという妙な満足感を抱いていた。
 自己満足に過ぎないかもしれないけれど、アイツを護る事が出来るのは俺だけだ、という自負心はアドビスという鎖につながれた俺のアイデンティティを辛うじて保たせてくれた。それは言いかえれば俺の存在自体が"大切なひとを護る"という陳腐な感情によって規定されていたとも言える。
 だけど……そんな陳腐な感情が俺にとっては勲章だった。
「ふふ……こんな姿を見たら、昔の俺は笑うだろうな」
 口元を微かに緩めると思いがけず笑いが零れ落ちた。しかも何の含みも無く自然に、だ。
 こんな事を言うのは何だけど、これは自分でも意外だった。
 多分、俺自身が自分の事を根っからの皮肉屋だと思っているからだろう。
 俺は口をキュッと結ぶと、ゆっくりと右手を肩の高さまで上げた。
 か細い腕、そして指の隙間を風がすり抜けていく。目を閉じると、まるで鳥になったかのような錯覚すら抱いた。
 だが飛ぶ事は叶わない。翼をもがれた鳥は自らを抱く風に翻弄され、そして飲み込まれる運命にあるのだから。
「永いお別れだ……イリア」
 地面がぐらりと揺れ、背後で物凄い爆音がした瞬間、俺は覚悟を決めてそう呟いた。そして最後の死に場所を求め、この大空へと飛び込んで行った。

 大空に抱かれながら、不思議と怖くは無かった。全身に風を受けながら、きっと鳥はこんな風にして飛んでいるのだろう、なんて考えていた。そして1秒が何分にも何時間にも感じられるような時の中で、イリアとの旅を振りかえっていた。決して楽しいばかりの旅ではなかったけれど、今思い出してみれば全てが良い思い出だったと思う。
 もともとアドビスに生まれた俺の命などあって無いような物だったのだ。でもイリアと出会った事によって俺はアドビスという鎖から解き放たれた。初めて生きている事を実感した。そしてイールズ・オーヴァとの戦いで二度と逢う事すら叶わないと思っていたのに、もう一度逢う事が出来た。これ以上何かを望むとしたらそれは贅沢という物だろう。
 でも……唯一後悔が残るといえば最後にアイツを傷付けてしまったという事か。俺のエゴを満たすという、ただそれだけの為に。
『――それで良いわ』
 優しそうな女性の声が聞えた瞬間、俺の体は重力の流れに逆らってフッと宙に浮いていた。
 大きな白銀の羽根が俺を包んでいたのだ。とても暖かい、懐かしい羽根が。
『良く試練に耐えたわね、シオン』
「水晶の……」
『そう、私はイェールスの水晶を司る者。貴方が本当に信用するに足る人間か見極める必要があった』
「これは夢か? 神殿で試練は終わったはずだ。俺は水晶の知識を」
『私が与えたのは古代魔術に関する僅かな知識だけよ。でなければあの魔物を倒す事は出来なかった』
「あんたらは……いつもこうなのか?」
『シオン、聞きなさい。この世界は貴方を求めている。イールズ・オーヴァはオッツ・キイムを滅ぼそうとしているわ。それを止められるのは貴方だけ』
「だが何故だ? 俺にしろイールズ・オーヴァにしろ神の摂理に反しているはずだ。それなのに何故俺に手を貸す? 神に背く事にはならないのか?」
『貴方が知る必要は無いわ。ただ敢えて言うなら……"戯れ"ね』
「人をチェスの駒みたいに……」
『見なさい、シオン。貴方を必要としている人がいる。貴方自身もそれを甘んじて受け入れた。そしてその為にはこの世界は必要不可欠。それで充分じゃなくて?』
 彼女が指差したその先には、地面に跪いて泣きじゃくるイリアの姿があった。
『いつまでも泣かせたままじゃ可哀想でしょ? さあ、行きなさい。彼女の為に。そして貴方自身の為に』



 二度と逢えない筈だったあの時と同じように、目の前の彼女は跪いたまま酷く泣きじゃくっていた。激しく肩を上下させ、可哀想なほどに嗚咽の声を漏らしながら。
 そんな彼女を尻目に、わざと足もとの草を蹴ってみせた。ザッザッという草を切る小気味良い音が響き渡る。反射的に肩を震わせた彼女は恐るおそるといった雰囲気でゆっくりと後ろに向きかえると、驚きを隠せない面持ちで「シオ……」と擦れた声を何とか搾り出したようだった。そして獣の咆哮のような声を漏らしながら、瞳から大粒の涙をぼろぼろと零していた。
「約束しただろ? ずっと一緒にいるって」
「だって……だって…………」
「そんなに泣く奴がいるかよ。せっかくの美人が台無しだぜって、おい?!」
 勢い良く飛びついてきたイリアは俺の体に顔を押し付けながら物凄い大声で泣き喚いている。そんな子供みたいな彼女を抱きしめながら、もう二度と触れられなかったであろう温もりを全身で感じていた。
「もう……放さないからな」
 この温もりを噛み締めるように言葉を紡ぐ。俺の胸に顔を埋めたまま、背中に手を回した彼女はギュッと抱き返してくれた。



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